今日は文化庁メディア芸術祭の受賞作品展覧会の最終日。恵比寿ガーデンプレイスの東京都写真美術館へいってきた。この種の展覧会にしては、1Fロビーに異様な熱気が漂っており大混雑。最終日で入場無料だから?いや、混雑の理由は、ホール地下で同時開催中の「おたく:人格=空間=都市」展だ。べネチア・ビエンナーレの「第9回国際建築展」の日本館で展示されて賛否両論話題になり、先日NHK新日曜美術館でも特集され、NHKアナウンサーが「萌え」の説明(笑)をしていたアレです。「おたくの部屋」2時間待ち!メディア芸術祭の展示を見てから、再び行くと30分待ちになっていたのでならんで入った。私は色んな意味で秋葉原かなり好きなので、よく行く&レンタルショーケースもチェックもするから『趣都の誕生──萌える都市アキハバラ』(著:森川嘉一郎)に特にオドロキはない。だが、今日の東京都写真美術館の状況はかなりヤバイ。すごい3層構造。「その人達」もそこに皆ちゃんと集まってて一気にモノとひとが凝縮してた。
三階:文化庁メディア芸術祭受賞作品のメディアアート部門のインスタレーション。美術系と思しき学生多し。
二階:エンターテイメント部門(ゲーム・CM・玩具・ウェブ)、アニメーション部門、マンガ部門。クリエーター系多し。
地下:フィギア、ポスター、レンタルショーケースのおたくの部屋。おたく系多し。秋葉原のアニメショップにいるみたい。
上の階から下に降りれば降りるほど、混雑と濃度と熱気はむんむん上昇。そして上から下からそれが入り混じる。どんなタイプの人達がどんな風にそれぞれの作品を鑑賞しているのか目皿、どんなおしゃべりをしてるか耳ダンボだった。ちょっと疑問に思ったこと。以下「おたく:人格=空間=都市」展の趣旨。
「これまで、国家や民族、宗教やイデオロギーなどをベースにした文化圏は
多々あったが、人格をベースにしたものはなかった。この、都市をも変える新たなる構造としての『人格』の浮上は、環境の情報化と密接に絡んでおり、資本と
はまた違ったパターンで、容易に旧来の境界を越境し、場を形成する。〈おたく〉を、商品や作品としてではなく、その人格を起点とした横断的概念として、展示を通して提示する。 」コミッショナー 森川嘉一郎氏
「東京のいま、についてのこの新しい解釈学的視点が、これまでの景観論、計画論、共同体論のすべてを、無効にしてしまうだろう。」建築家 磯崎新氏(この日本展を森川氏に企画するよう勧めた)
ちょっと待ったー。森川嘉一郎氏や磯崎新氏がそういいたい気持ちはよく解るけど、「趣味が、都市を変える力を持ち始めた」って本当に「歴史的にも稀な出来事」で新しいことだろうか?なんかモダニズムから急にすっとばしている気がする。
私は建築家ではないけれど、普通に考えて都市の形成としての、この秋葉原の現象は稀だと思えない。
共通した精神的なイコンを持って、宗教に近いようなトライブが形成され、ある種の新しい聖地が醸成されることってわりとあることだと思う。それが資本主義とがっちり結びついていることも新しいことではないし。
趣味=生き方=イコン=文化=経済=街が結びつく例はいくらでもある気がする。例えばブランド信仰や音楽ファンやセクシャルなマイノリティ。裏原や新宿二丁目。パンクスにとってのキングスロード。ヒッピーにとってのヘイト&アシュベリー。ブランド趣味な女の子や男の子がいなかったらブランド街だってできないし。秋葉原はもともと電気街だしおたくの聖地が醸成されやすい親和性があった。でもそれはオシャレから遠いという理由やセクシャリティが絡んでいるから、皆が目によくするようなファッション誌やメディアでは取り上げられなくて、理解不能な異様な感じと皆が感じているから逆にかなり目立つけど、ユースカルチャーやサブカルチャースポットの在り方として見ると普遍的かつまっとうなのではないかと思う。
面白いなと感じたのは、透明な皮膜感、小さな箱庭感といった「パッケージ大好き文化」でおたく文化自らを小さな箱にキレイに並べてパッケージ化してベネチアに持っていってしまったのは、おたくらしくていいな、と思った。どうせなら、人も含めて連れて行けばもっと面白いのでは。ミニベネチアビエンナーレ国際建築展シリーズ食玩とかだして、オマケに日本館とかフランス館とかついているとか。
どちらにせよ、この写真美術館での展示全てが日本のメディア芸術だとするなら、それらはもうほとんどが美術館で成立するものではないものなのかも、とも思った。
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