趣味は読書。っていうと意外に思われるんですけど、iamas入学1年次終了の節目ということで、この1年で読んだ本の中で、一番衝撃を受けて、いい意味で立ち直るのに時間を要した本を紹介します。
「生物から見た世界」(新装版)
(著)ヤーコプ・フォン・ユクスキュル
ゲオルク・クリサート
(訳)日高敏隆、野田保之,1995 新思索社
「昔読んだよ」(1973 思索社)という方も、ちょっと待って!もし新装版を読んでいないとしたら。新装版は昔とタイトルは一緒なんですが、2冊分含まれているんです。ユクスキュル(エストニア 生物学者1864-1944)の代表作といわれる「動物と環境世界への散歩」(独1934)、「意味の理論」(独1940)の全訳2冊分。「意味の理論」は、新装版初訳だったのです。「意味の理論」だけで100頁分くらいあります。
第二部にあたる「意味の理論」は、あまりに良すぎて、ほっんとに参りました、ががーん。ぜんぜん古くないです。むしろ今とても必要。人間の世界の認識の限界を知ることができます。なぜ、今まで読んでなかったんだろう。もっと早く出会っていたら、違う生き方していたかも、と心の底から思った。
現代の科学の理論を考えると、自己組織化やオートポイエーシスなどなど、生物の論理がしきりと使われるようになった。生物学から生物の論理を引き出して、他分野で応用できることが解ったのは最近のことで、コンピュータやネットワークをはじめ、サイエンステクノロジーの発達に伴って生み出されたシステムが生物に近い複雑さを持ち始めてからのこと。
80年代は「カオス」、90年代は「複雑系」とかで、とりあえず世界をくくってみて、今では複雑系の「創発」現象(これも脳のないアリがいかにして…という自己組織化のボトムアップ版)のを研究し解析するよりも、人為的に創造しよう、20年後は量子コンピュータでネットワークされて、そんな多極社会どうやって全て認識するの?なんてことになってる今を予見していたかのような、ユクスキュルのメッセージはグサッときます。
8章「意味を耐えること」は泣けます。そして10章「形態形成の動機としての対立符点」…ここ、3回読み直した。私はサイエンステクノロジーで新しい認識を得て概念を拡張させ、感覚器官の不足分をテクノロジーでエクステンションできる、と思っている一人であるだけに、落ち込む。例えるなら、「指輪物語」に出てくる大好きキャラのエント(木の髭)の怒りに触れたサルマンの気分。辛口ヴィリリオに「端末市民」といわれてもへっちゃらなのにこれは堪えた。その後総論までいくと脱力。
いい忘れてましたが、訳者である動物学者の日高敏隆氏は日本におけるエソロジー(動物行動学)の第一人者で、ドーキンスの「利己的な遺伝子」やローレンツの「ソロモンの指輪」などなどを日本に伝えた方です。(このお方の本も面白いのいっぱいあります。)野田氏と日高氏の訳は、著者の雰囲気が日本語できちんと伝わるような、冷静で時に厳しく詩的で大きな温かみに包まれるような雰囲気を感じさせてくれた素晴らしい訳でした。
ええーと、そんなわけで、情報や科学や技術や芸術に関わっている方に、あえて今読んで欲しいなと思いました。前半「散歩」の方は「見えない世界の絵本」というサブタイトルがついているほど、挿絵がイッパイで面白いです。アフォーダンスやクオリアもここから色々説明できていたんじゃないかな…とか。(松岡正剛「千夜千冊・735」参照) それから後半「意味の理論」は、じっくり最後まで読むことをお薦めします。
最後巻末には、初版の序文…科学者であり細胞学者のマックス・ハルトマンから受けた批判に対する、ユクスキュルの痛烈な批判が生々しい文体でそこにあります。この人めちゃくちゃかっこいいです。マイヒーロー。こんな人が存在していたんだなぁ。
松岡正剛氏が、ユクスキュルについて書いているなかに、「ドイツ語では、小さな鏡をたくさん並べて合わせ鏡とする子供の遊びのことをグロッケンシュピールという」とありますが、「合わせ鏡」というではなく、「鉄琴」ではないでしょうか。訳本では「合鐘」となっていますが、彼はこれを「合鏡」と読んだのでしょうか。謎です。
投稿情報: ishizuka | 2007年2 月14日 (水曜日) 15:19
ishizukaさん
コメントありがとうございます☆
千夜千冊を読み返してみました。たしかに、ishizukaさんのおっしゃる通り、グロッケンシュピールっていうのは、カリヨンとかのことですよね、すると、あの部分は謎ですね。「小さな鏡をたくさん並べて合わせ鏡」の視点と世界を想像すると…何かそれはそれで、詩的というか不思議な世界で、面白いですネ。
投稿情報: ムギ | 2007年3 月 1日 (木曜日) 22:04